2005年05月11日

困難

文章の書き方を忘れた。どうしよう。
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2005年04月09日

見通し

諸君、聞いてほしい。私は今後どのエロゲー声優を押すかを決めた。鮎川ひなたである。ごく一部では絶大な支持を受けているが、しかしまだ一般の人々に認知されていないマイナー声優だ。即ち、まだ俗世の汚れに染まっていないうちに、唾をつけて確保しておこうという魂胆である。以下に、サンプルボイスの置いてあるサイトを二箇所あげておこう。よく吟味して、その是非を決めていただきたい。

http://www.natsunone.jp/char_uk.html

http://www.propeller-game.com/product/ayakasi/chara/suzu.html
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2005年04月06日

失望

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kume2/jinguji/bbs.cgi

wingがつぶれた。HPが長期にわたって更新されず、以前から嫌な予感はあったのだが、サイトそのものがなくなった現在、その事実は確実な根拠を伴って私に押し寄せてくる。開発中だった『edelweiss』は一生発売することがない。これは、単純な計算で出てくる明快な答えである。いやうそだ。算盤をはじく手間さえいらない歴然とした事実ではないか。頭では判っていても、感情は現実を受け入れようとしない。

教えてほしい。この、やり場のない悲しみをどこにぶちまければいいんだ。
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2005年04月03日

帰宅

帰ってきた。頭が痛い。風邪だ。はきそう。死にたい。それでも今日ふらふらになりながらもアキバを巡礼した俺様だ。
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2005年03月20日

一日だけ自宅に戻ってきた

暗闇の中、パソコンの明かりだけが照らされる部屋で黙々とキーボードを叩いてるんすよ。なぜ電灯もつけずに暗がりでこんなことをやっているかというと、自分の部屋で寝ている人がいるんすよ。その人を起こさないように気を気にしながら、こうして久しぶりにブログの更新にいそしんでいる訳なんすね。自分偉いッすね。で、みなさんは、部屋で就寝中の人物が何者であるのか気になって、その関係を知りたがっていると思うんすよ。色っぽい話を期待してるのかもしれねえっすが、別にそんなことねえっす。恋人と一緒に寝たり、再生産と純潔の器官をあわせたり、などは全然してないっす。ぶっちゃけありえねえ事態なんすよ。いま自分の含めて部屋の中に4人ほど居るんす。普通友達とつるんで飲み会をしたとかなら全然いいんすが、友達ですらなくて、ただ単に父と母、姉が泊り込んでるんっすよ。つまり家族が狭いアパートの一室で肩身を寄せ合い仲良く寝ているんす。わけわからねえっす。当然自分は、この事態にたいして断じて認めぬと強く反抗したんすが、母は「親子四人で川の字になって寝るのもいいんじゃない」といって自分の意見をナチュラルに黙殺しやがったんすよ。四人じゃ川の字じゃねえだろうと突っ込むどころじゃねっす。呆然とするどころかなんか腹の底から笑いの衝動がわきあがってきて、ひきつけを起こしそうになったっす。俗に言うこむら返りっす。腹が攣りそうになるなんて19年生きてきてはじめての出来事っす(少し感動)。いったん諦めかけたっすが、しかしここで負けてたまるかともう一度、部屋の狭さやふとんの枚数などの問題を提起して、両親を論理的に説得しようと試みました。俺の部屋は狭くてとても四人が眠るスペースはないし、自宅にはふとんの数は限られている、これで家族の誰かが風邪をひいては大変であると、弁舌を大いにふるって家族が泊まることを防ごうと頑張ったス。でもまあだめだったんすけどね(てへ)。
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2005年02月12日

風呂あがりに

鏡で自分の顔を見たら、あまりにホモっぽくて笑えた。髪型が全体的にもっさりとしてうざいのが原因なんだと思う。前髪の垂れ具合とか特にそれ系の人っぽい雰囲気をかもし出している。あはは。笑い事じゃねえよ!! リアルで泣くぞ。
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2005年02月11日

まあ

そんなこんなでお姉さまがいま僕の家にお泊りしてます。かいがいしく洗濯物を洗って干してくれたりキッチン周りをきれいに掃除してくれたりと素敵な世話女房っぷりです。なんだかんだで家族の愛を感じました。実はぼくは両親や兄弟から多くの愛を貰っている気がするがしかし。

人に愛されなければ人を愛すことはできない。だけど人に愛された記憶が人を愛すことに繋がらない人間からしてみればこの言葉は残酷だ。まるで人に愛されたならば、人を愛すことは当然だと言われているみたいでつらいんだ。人に愛されることと人を愛すことは等価じゃない。ごめんよ、家族。

近いうちに実家に帰るので、その間ここは更新されないのでよろしく。

今日の文章はあれだ、少し背伸びしたい自意識過剰な中高生がやってしまいそうな恥ずかしいポエムみたいだな。
posted by doolittle at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こんにちは

気の違ったような量と質の文章を量産した躁病状態から無気力でネガティブな気分を嫌なくらいに味わう鬱病に症状が移り変わり、人生の帰り道を見失ったdoolittleです>挨拶

ここはどこですか。目の前が真っ暗です。何かをつかもうと手を伸ばしても空を切る。しかしつかもうとする手だけはたしかにある。どこにたっているのか判らないが、自分がどこかにたっていることは間違いない。自分は存在するのに、ほかのモノで実感を得ることができない不安。ぼくはこの状態になると、死にたいと口に出してしまう。別に死にたいわけではない。ただ死にたいと言葉にするしか表せない不安なんだ。さえない日常、停滞、憂鬱、先が見えてつまらない将来なのに、目の前が不透明で曖昧な毎日。まとわりつくむなしくて重苦しい空気の中で、死は限りなく観念に近づけられ、自分の死や世界の終わりという突飛な出来事にしかリアルを感じられなくなる。この地点においてふっと向こう側に消えて死んでしまうような気分におちいる。しかし自分はいやでも存在しつづける。それがいやだ。たしかな実感が欲しいんだ。

ところで文章の冒頭に「>挨拶」って置くのは、使い勝手はいいけどアホっぽいからそろそろやめないか。やっていると頭が悪く見えるよ。僕はやめるよ。みんながやめたら。
posted by doolittle at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月06日

なぜかこどちゃを見てるんだけど

いまさらアニメでは絵コンテも重要だと気づいたぼくはアホですか。やっぱ大地丙太郎が絵コンテを担当した話は段違いに出来が良い。昔は監督と脚本家の名前にしか目を向けてなかった。むむ、なってこったい。まあ、ぼくはアニメをあんまり見ない人だし仕方ないよね(言い訳)。

あ、やっぱこどちゃはさいこーのアニメの一つですな。よく出来た人間ドラマとしても一級品です。特に十九話目なんて素晴らしい。頭悪い感想でごめん。


話は飛ぶけど、幾原邦彦はもうアニメの仕事しないんか。ぼくこの人好きっすよ。アニメ自体は悪趣味で病的でマニアックなんだけど、それを意識的に解体しようとする知的な批評性が良いと思う。ウテナも見直すかな。
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2005年01月30日

適当なオタク小論

このネタまだひっぱります。

《透谷は「獣欲」と「精神的恋愛」を対立させ、前者の単独での価値を否定し、後者による前者の支配をもくろんだ。
 『恋風』に萌えるヲタは、この透谷の末裔である。
 「空想と現実との戦争でまけた将軍がたてこもって防戦する城が恋愛だ」と透谷が自己肯定的に言ったとき、それはまさにヲタのことを念頭において言ったかのようであるなあと思わないか。》

文脈から意味を汲み取るに、オタクは現実では達成されなかった願望を虚構にて反復する、という程度の解釈が可能である。しかしこれは明快にに間違っている。オタクは、よく言われるように現実と虚構を混同するのではなく、また現実の代わりとして虚構を消費するわけでもなく、現実と虚構を対立させないだけだ。現実のリアリティーと虚構のリアリティーはオタクの中では対立するものではない。つまり現実と虚構の優位性があるわけではなくて、現実も虚構もともに等価値である(微妙に虚構よりだけど)。現実で敗退したから仕方なく虚構に逃げ込むなんてことは今日のオタクとしては少数派である。セイバーは恋愛対象として、人間彼女は肉壷として共に価値があると思うのがオタクです。むしろオタクの価値基準においては現実より虚構の方が上であることも少なくない。虚構より現実の方に比重を置く人間は微妙にオタクではない、たとえば、恋人が出来てもエロゲーを捨てないのがオタクだ、恋人がいても隠れてエロゲーをやるのがオタクだ。「空想と現実との戦争でまけた将軍がたてこもって防戦する城が恋愛だ」なんてことはオタクにおいてありえない(大多数が)。確かに現実で恋人がいないからエロゲーをプレイする人もいるが、少なくとも僕の身の回りの友人には(KOHAやKAN)そんな理由でエロゲーをする人間はいない。ガチンコだぜ。やはりそういう意味で「オタクは透谷の末裔である」と定義することは難しいんじゃないかな。

と、勝手にKOHAとKANを自分の仲間に引き入れたわけだ。真性のオタクとして定義したわけだ。僕の認識に間違いがある場合は遠慮なく異議申し立てをしてください>お二方
少なくとも僕は、現実の境遇いっさい関係なく、純粋に二次元のキャラクターに恋慕を抱いたのが切っ掛けでギャルゲーとエロゲーをプレイしたわけですが。美少女ゲームの英才教育はだてじゃない。どうだ羨ましいだろ。え、別に羨ましくないって? 僕自身は、二次元彼女に価値を見出した自分を限りなく賞賛したいんだけど、人間ではなくキャラを愛すこと選択した自分を褒め称えたいんだけど、え、変ですかね。と「あえて」居直ってやる。
posted by doolittle at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月28日

お姉様

お姉さまから電話がかかってきた。

(僕)「はい、もしもし」

(姉)「近いうちに東京に行くので、あなたの家に泊まらせなさい」

(僕)「いやだ」

(姉)「あら。ほんとは嬉しいくせに。照れ隠し?」

(僕)「いえほんきでありえないんで勘弁してください、お願いします(懇願)」

(姉)「判ったわ。そこまで言うなら仕方ないわね」

(僕)「ウンそうしてくれると僕嬉しいデス」

(姉)「2月の10日にそっち行くからよろしくね」

(僕) 「何も判っちゃいねえよこのアマ!」

そんなこんなでぼくんちに泊まるらしいよお姉さまは。どうだ羨ましいだろ。はっはっは(涙目)。

いやいとしのお姉さまに会えるのは素直に喜ぶべきことなんだけど、でもねえ。ぶるぶる。


突発企画・今日の名言のコーナー

「姉は理想の母である」

姉は、弟を思いやって愛してくれるけど、母親のように一方的に愛を注ぐのではなく、たまに冷徹に突き放すよう他者性も備えている。母親は子供を取り込もうとするが、姉は弟を一個の他者として扱う。時に姉が冷たく思えるときがあるけど、それは過剰な愛を弟に求めないからだ。ある意味で理想の関係ではないだろうか。

まあ母親と姉の両方いる中で形成される関係性が僕にとって丁度いいような気がするけど。
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2005年01月24日

みーの仮想敵

福圓美里新谷良子

理由は聞くな。


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2005年01月22日

なんとなく

深い理由もないのだけれど、なんとなく全ての記事を非公開にしてみた。まあ読むだけ時間の無駄でしょ。

追記。
サイトの景観が寂しすぎで僕の心がむなしくなったので、幾つか無難な記事を復活させました。
posted by doolittle at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月19日

応援

http://www.za.ztv.ne.jp/hirasakayomi/index.htm

何も言わず上のサイトを見れ。日記を読め。思い付きを文章化しただけというか、情熱だけでキーボードを叩いているだろうてめえと思ってしまう。文面からは作者の熱いパトスがほとばしっている。無駄に熱すぎる。それが気持ちよすぎる。感じろ。ほんとうにすげえ。この人。すげえくらいに頭がわりい。頭を使えよっと思う。センスはすごいくらいに洗練されていない。すべてがだせえ。もう大好きだ。

doolittleは平坂読氏を誠心誠意応援します。近いうちに小説も読みたいと思います。
posted by doolittle at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月18日

だめぽ

テキストは容易く人の感情を支配します。好きなものを嫌いにさせたり、歴史上の残虐非道の悪人を聖人君子に生まれ変わらせたりするのです。どういうことでしょうか。
たとえば「世界には始まりがないし終わりがない」という命題があります。世界に始まりがあったとするならば、それ以前に無の空間が想定されます。しかし無から有は生じません。だから世界には始まりがないのです。つまり世界は無限であるという結論が導き出でます。
では反対の命題を考えて見ましょう。「世界には始まりがあり、終わりがある」という命題です。世界に始まりと終わりがない、つまり無限と定義したならば、いま私たちのいる現在という時間自体がなくなっていまいます。無限ならば時間が存在はずです。しかし私たちがいまここいることは、自明の事実です。だから世界は無限でなくて、始まりがあり終わりがあります。
ここでは二つの背反する命題が共に成り立っています。両方の命題にもそこそこ説得力があり、どちらも真実と見なせます。
じゃあ実際にはどちらが真実なのか。答えを言えば、どちらも真実ではありません。これは想定した命題そのものが間違っているからこそ起きたパラドックスなのです。つまり答の正否以前に、問いかけ自体が間違っているのです。しかしみなさんはこの間違った命題とその証明を読んだとき、どちらもナルホドねえ程度には納得できたと思います。
これがテキストは容易く人の感情を支配されるという意味です。文章は間違ったものを正しいと錯覚させます。つまり文章の記述しだいで人間の心情を簡単に左右し決定付けます。だからテキストを読んであなたが思い抱いた感情は必ずしも真実とは限らないのです。感じた情動は確かに本物ですが、しかしそれが事実と食い違う可能性を孕んでいることをつねに考慮しましょうね。

この記事の一部削除。
http://tiyu.to/title.html#17_01_19
を読んだら、そのほうが賢明かなと思って。禍の芽は早いうちに摘み取るに限る。まあもともと不用意で悪趣味なことを書いたなとは思っていたのだけれど、にしてもだよ、ネット世界はこわいよ。

ほらちゆを読んだだけで僕の行動が決定された。テキストってすごいね。
posted by doolittle at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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